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合同青経塾/PJ活動

第36回青経祭 寸劇 第43・44・45・46青経塾

第36回青経祭 寸劇 第43・44・45・46青経塾
テーマ『太陽となれ!』
演目 『電力王 福沢桃介』

福沢桃介の人物紹介

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45歳の頃の桃介。名古屋電燈取締役に就任した頃

福沢桃介は1868年、武蔵国横見郡荒子村にて、岩崎紀一・サダ夫妻の次男に生まれる。
慶応義塾に入塾後、洋行を条件に福沢諭吉と養子縁組をし、米国に留学。
帰国後、諭吉二女(ふさ)と結婚式を挙げ、北海道炭礦鉄道に入社。
ところが結核となり、治療のため辞職。療養中持ち前の時代の先見により、株相場で才能が開花する。

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慶応義塾三田演説館

その資金を元手に丸三商会を立ち上げたが諭吉らに経営者としての資質を疑われ倒産するが、諦めることなく再び相場で元手を作り、電気事業に関わり、木曽川に大井発電所を作りあげる。
そして、山本常太郎らと共に大同電力(後の関西電力)や東邦電力(後の中部電力)を創立して社長となり、後に「電力王」と呼ばれるようになる。また、その電力を利用する事業として、大同特殊鋼、東亞合成の創立にも関わる。
 桃介の評価は、電力王という好意的な評価がある一方、相場師としての顔や、川上貞奴との関係のみが目立って伝わったため、好悪が非常に分かれる人物であった。しかし、経営者としての人物像は学ぶべき所が多くあり、また、相場はあくまでも元手を作るための手段であり、川上貞奴とは愛人というよりも、事業のパートナーという関係だったようで、彼自身は事業で何かを残す事が本懐だったようである。
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桃介と川上貞奴

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大井発電所

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木曽三留野(南木曾)の「桃介橋」