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新塾 副塾長紹介 後編
≪第43塾 副塾長 恒川 富士勝≫
15歳まで三重県桑名市で育つ。中学卒業後、父の借金100万円を背負い工員として就職。その後26歳で独立、町工場主となるも、経営に対する志・ビジョ ン・展望を持たないため、31歳で財布に50円を残し閉所。直後現在の会社㈱さくら警備保障にアルバイトとして就職し、現会長のお声掛で正社員として入社、課長・部長・常務と出世?した。その直後、運命の5年前、先輩の甘い言葉に誘われ、第30青経塾に入塾、怒涛の3年間を過ごす。代表取締役には現役2年目、39歳で就任し現在に至る。
43塾副塾長を拝命した経緯は、30塾水野塾長に「30塾をクビだ。」といわれ、塾内リストラに遭い現43塾梅村塾長に拾っていただく。 人生の地図と志を持たなければ、今、仮に成功していても成功し続けることはできない。また、行動による実践でしか成功は手にすることはできないことを青経塾でより明確に学んだ。
まだ見ぬ新塾の仲間よ、梅村塾長のもとに集い、自身の人生地図を確固たるものにすべし!!1000日という限られた時間のなかでとことんあなたの魂を燃え上がらせ、とことん経営者の仲間と共に磨き合い、とことん雑草魂を極めよう。

≪第44塾 副塾長 山村 憲人≫
『骨太』
『骨太』とは、荒川塾長の掲げる第44塾のテーマで、明確な志を持ち、それを必ずやり遂げる強い精神力を持った人という意味合いであります。荒川塾長の下、現役活動を、真の仲間と共に相互啓発し、3年後の卒業時には、全員が立派な骨太の塾生になり、卒業できるよう、1000日修行いたします。

≪第45塾 副塾長 加藤 伸人≫
私は3年間廣瀬塾長とともに29塾大澤塾長の下で学ばせていただきました。
廣瀬塾長は、現役時、私にとっては非常に怖い兄貴のような存在でした。副塾長の依頼のされ方も、「俺の頼みを断れるわけないよな!」の一言で「こちらこそ、よろしくお願いします」と頭を下げて、私からお願いをいたしました。そんな弟のような私が出来ることは、廣瀬塾長の下で廣瀬塾長の目指す方向に阿吽の呼吸にて塾生を向かせるお手伝いをする事だと考えております。
今後はその自分の使命を全力を持ち、影に日向に全うする所存です。

≪第45塾 副塾長 太田 啓介≫
現第34青経塾に在籍しています、太田啓介です。
当初、廣瀬塾長から副塾長の依頼を受けたときは、現役塾生という立場もあり、正直、大変な戸惑いがありました。しかし、いろいろな先輩方に相談をさせて頂く中で、現役塾を繰り返して体験すれば、学びもより一層深く身に付くとアドバイスを頂きました。
廣瀬塾長とは、プライベートも含め20年越しのお付き合いをさせて頂いており、また、私に青経塾をご紹介して頂いた方でもあります。そんな廣瀬塾長の想いに応えようと決意し、副塾長を受けさせて頂きました。私自身、青経塾で多くの学びを頂き、社業にて実践・活用させて頂いております。
これからは皆様にご紹介して頂いた新塾生と共に、さらに切磋琢磨し合い、必ず人格の向上、並びに社業に寄与出来る塾生を、廣瀬塾長、加藤副塾長と一緒に育成していきます。













