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卒業と退職

 機械製造を行って40年。私が就職した時は、「石の上にも三年」とよく言われました。先輩が出勤する前にまず行うことは、掃除と油さし。先輩が出勤する時は、「気持ち良い中で教えて頂く、油をさすは、人間に食事を与えるのと同じだ」と、耳にたこができる位言われ続けました。そんな私も機械の製造に喜びを感じ、機械を作り続けることこそが生き甲斐になっていきました。

 そして会社の経営をおこなう立場になると様々な問題に直面しました。
 人を育てるって何だろう。人は私と同調出来るだろうか。
 生きることの必要性までも考える様になっていました。
 
 そんな中、私の次男が、脳萎縮から知的障害となり、まさに生きるとは・・・・・。
ありとあらゆる所に出かけ、頭も体もパニック状態。その時の結論は、自分の為ではなく人の為に生きることであると悟りました。
 会社では、機械を作るという媒体を通じ、社員教育、その機械を通じて社会の一役を担うことでした。
 二十二歳で入社した新人は、右も左も判らず、時にはあいさつ運動から始める始末です。機械を教え、早く自分の給料を自分で稼げとばかり、強引に進めた時期もありました。「石の上にも三年、先輩の後姿を見て育つ」は、通用しませんでした。
 そんな中、社是・理念・基本方針ができ、一人一人に合った三年スキルアッププランがマニュアルとして完成し、職能給が決められ、一人一人の生き方を重視し、適材適所を見つけることから始め、役割として位置付けられるようになっていきました。三年のスキルアッププランは、会社の仕事(機械作りの原点からお客様での機械の鼓動を聞くまで)を一貫して経験することでした。その中から、自分のプロとしての生き方を選択し、勉強しながらの挑戦が始まります。ライフスタイルは様々です。製造を10年、組立・設計を5年とする人。製造を8年、組立・設計を3年、現地据付を4年など様々です。

 15年を境に、退職金も変わり、一人一人の境遇はより一層厳しくなる。15年が我社では卒業と言っています。卒業の後は、後輩の指導が重視され、マネジメントに入ります。しかし、卒業しても技術屋として、職人として生きようとする人もいます。人は、八方美人ではありません。それぞれの生き方があっていいはずです。それが職人か、マネージャーかの違いになります。

 14年までは退職です。残念ながら中途半端としか言えないのです。不思議です。自信と人の丸味が変わるんです。私は卒業生を信濃マンとして育てたい。そして、社会の為に行動できる人間、人の為に動く人間、強い弱い関係なく生きられる人間を育てたい。職人もその一人であることを忘れたくない。それがその人の個性であるから・・・・・。
「個性は自立型に継る」を信じたい。

次回は、機械が生きる魂、人が生きる魂で締めくくります。


第6青経塾 江尻富吉 

信濃工業株式会社  http://www.sinano-co.jp/

第6青経塾 江尻 富吉